初めまして・・・
しあわせ家の田尻です。
「サラリーマンになりたい」
将来の夢をそう書きました。
私で四代目になる、創業九十余年の老舗材木屋の跡取り息子として、長野市の東のはずれ、若穂綿内に私は生まれました。
それは小学生の頃でした。
周囲の友達が「野球選手になりたい」「パイロットになりたい」「看護婦さんになりたい」・・・そんな夢を見ている時期なのに、私は「将来の跡継ぎ」。
「おまえは幸せだな」「将来は社長だ」・・そうみんなは言いました。
これが他人の事だったら、きっと私も同じ事を言ったでしょう。
でもいざ自分の事になってみると・・・私は、自分だけ夢がないようでイヤでした。
そんなちょっとひねくれた気持ちから、作文にそんなことを書いたのでしょう。
子供の頃、私はとても丸々と太った子供でした。
幼稚園に通っていた頃は、外を走り回ってばかりいるような活発な子供だったはずなのですが、小学校に上がってしばらくすると、家の中で本を読んでばかりいるようになりました。
祖父はそのころ市会議員を務めていました。その他にもいろいろな役を戴き、とても忙しい毎日。
祖父が不在の会社を支える父も母も、同じくとても忙しい人。
そんな環境だったせいでしょうか・・・・私には、家族みんなでお茶を飲んだとか、こたつにあたってテレビを見たとか、そんなどの家庭にも普通にありそうな「家族団らん」の記憶があまりないのです。
私が今、「家族」で「しあわせ」に暮らせる家をつくろうとしている気持ちの奥深いところには、きっとこの頃にあまり味わえなかった「家族の温もり」 「団らん」へのあこがれがあるのかも知れません。
高校時代は、以前に比べてずいぶんおなかが引っ込みました。お年頃ですから(笑)
勉強もせずに、山に登ったり遊びほうけたりした、楽しい高校生活でした。
が、生徒会活動を一生懸命やっていたお陰で、推薦で大学に入ることが出来ました。
何でも頑張ってやってみるモノですね(笑)
大学時代の専攻は建築の、環境工学。
「暖かい」とか「寒い」とかいう、温熱環境から人の快適性を研究することに没頭していました。
あまりに楽しかったので大学院に行こうかと思っていたのですが、両親から説得され、帰郷し就職をしました。
地元ゼネコンでの6年間の修業生活中は、汗やコンクリートまみれにもなった生活でした。
このころ、勤務先の会社で始まって以来の、可能な限りで最も早い一級建築士合格者となります。
建築を広く勉強できるいい機会であったのと同時に、現場で職人さん達と心を通じ合わせる、とても良い勉強になりました。
そしていよいよ修業を終え、ついに本格的に「跡継ぎ」への道を歩み出します。
ずいぶん前から会社は、「材木屋」から「工務店」へと本業を変えつつありました。
「家」という、人の想い入れがとても強いものをつくる仕事は、つらく厳しいけれど、でもとても楽しいことに感じられました。
それは、ある年のことでした。
私といくつも違わないご夫婦が、「土地を買って家をたてたい」という夢を抱いて私の所に相談に来てくださいました。
予算はけっしてたくさんある、とは言えない額。
でも、その額は彼らにとって、きっとめいっぱい頑張った「清水の舞台から飛び降りる」つもりのはず・・・。
私は、私なりに二人の希望に添えるように努力して提案をはじめました。
しかしあるとき、事態が急変します。
「有名なメーカーが、○○も△△もついてるのに、予算の範囲に収めてくれるって言うから・・・」
有名ハウスメーカーが開いた説明会に参加して、そちらに心が動いてしまわれました。私は選んで戴くことが出来ませんでした。
競争の激しい住宅業界ですから、それはこの仕事をしていると、けっしてめずらしい事ではありません。
仕方がないことだ、と、私は残念な事の一つとして、二人のことを忘れていきました。
ところがです。
私はその二人が建てている家を、よく観察する羽目になってしまったのです。
なぜなら、その建設地のすぐそばで仕事をしていたから・・・。
それは、私という建築屋の良心からすると、信じられない事の連続でした。
いい加減な基礎の作り方、工業化住宅という名のもとに簡略化された作り、そして何より、安っちい本体なのに、装備でお得感を出している・・・それでいいのか、家づくりって?
私なら、一生背負っていく借金をしてまでつくった家があれであるなら、きっと後悔をします。
出来る事ならキャンセルしたい、そう思うでしょう。
あれは心のこもった家では、なかった。
「箱」とか、「入れ物」をつくる作り方だった・・・
私に仕事を下さらなかった事に恨み言をいうつもりは全くありません。
それは仕方のない事ですから。
でも、
「あなたはあの家でよかったの?」
私はそう聞きたかった。
余計なお世話だけど、かわいそうだった。
二人にあんな家づくりをさせてしまったことが、悔しかった。
本当に余計なお世話だけど、私はちょっと涙が出てきたのを覚えています。
私は、自分が世界で最高の家をつくっている・・・なんて思わない。
でも少なくとも、
自分という家づくりに携わるプロが、
心を込めて真剣にお客様の幸せを考えて家づくりをしている。
その点に関しては、誰に対しても胸を張って言える。
そう思っています。
家族が安心して暮らせる、いい家をつくって欲しい。
心の底からそう思いました。
いい家の定義なんて、人によって違うところもある。
でも、一番基本になる部分は、きっと同じ。
丈夫で長持ちすること。
つかいやすいこと。
美しいこと。
しあわせになれる家であること。
これは、きっとみんな一緒、変わらないでしょう。
草花にたとえるなら、きっと私は名もない草のような存在かも知れません。
ハウスメーカーの様に華々しい話題性もなければ、大きな建設屋さんのようにパァッと目立てるわけでもない。
大きな花を咲かせるわけでもない、よくある地元の工務店。
そう見えるかも知れない。
私は別に、「一花咲かせてやろう」なんて考えてはいません。
でも私は、
しっかり地元に根ざして、
地元で共に暮らす人たちのために、
基本に忠実なしっかりした家を建てていける
そんな存在でありたい。
そう思うのです。
私がつくった家に住めば、幸せになれる。
・・・いや、そんな事はとても言えません。
でも、私はあなたの幸せを、不器用だけど、心の底から考えてあげる家づくりをしたい。
そんな想いを込めて、「しあわせ家(しあわせや)」という名前をつけました。
あなたには、幸せになって欲しい。
しあわせ家族 四代目の店主
田尻博巳。